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灯 台 巡 視 船 明 治 丸

 明治初期〜中期に活躍した灯台巡視船

 高校のクラスメートで写真家のU君は,一線を引退したいま,あちこちにある日本のよき時代を色濃く残しながらもいまや消滅寸前の建物や,橋,郵便ポスト,火の見櫓などを撮りまくっている。そんな彼から誘われて,東京越中島にある東京海洋大学(旧東京商船大学)に保存されている”明治丸”を見学した。
 同行者は,関東地方の河川の歴史にめっぽう強いS君と映画好きのT君あわせて4人である。
東京メトロ有楽町線月島駅7番出口で待ち合わせして,先ずは,月島名物「もんじゃ焼き」で昼食(トッピングは,もん吉スペシャル・チゲ風鍋・明太もちチーズの3種類を4人でつつく)。
 ここ月島,佃島界隈は,戦災に遭わず古い家並みと幅2mちょっと位の細い路地が残っている。そんなレトロ風情を楽しみながら清澄通りに出て,隅田川派川に架かる「相生橋」を渡ると右手に3本マストの瀟洒な帆船が見えてくる。これが本日のお目当て「明治丸」である。

 重厚な大正レンガ建築物が建ち並ぶ東京海洋大の構内を,学生の航海演習の授業に使われたと言う経緯度観測台の記念すべき建物などを見ながら,明治丸が鎮座する隅田川べりに向かう。
 50年前にここを卒業され,郵船や石播での仕事からリタイヤーして,明治丸のボランティアガイドをしていると言うSさんが,船内を案内してくださった。始めたばかりで十分な説明が出来ないと謙遜されていたが,どうしてどうして,実際に長い間船乗りをされた方の説明は活き活きとした情報を伝えてくれて大変為になった。

 さて,明治丸であるが, 
明治丸
 総トン数:1037.2t,長さ:73.8m:幅:8.9m,補助帆付き蒸気船,実馬力:1530馬力平均速力:11.5ノット(およそ20km/h)。ほっそりした白い船首には,優雅な模様が彫り込まれている。船内にはアールデコ風の豪華な部屋もある。Sさんによると燃料となる石炭貯蔵庫容量から一航海日数はせいぜい1週間から10日くらいだろうという。

 明治の初期,明治政府は海運にも力をいれ,各地に灯台を建設していったが,それらに資機材,生活物資などを供給するべく明治6年新船1隻を英国グラスゴーの造船所に発注した。翌年竣工し,同8年2月に横浜港に回航された。数年前に開通したスエズ運河経由で英人ブラウン船長以下53人の乗組員によって回航され,その後もブラウン船長が操船を指揮したと言う。
 灯台巡視船として活躍するかたわら,当時,最新鋭の汽船として数次にわたり明治天皇の御座船としても使用されたり,政治的な動きが慌しくなった朝鮮半島巡航に出向いたり小笠原諸島や硫黄島領有権調査にも活躍した。ちなみに明治9年東北・北海道巡幸の折,横浜に帰着した7月20日を記念して昭和16年にこの日を「海の記念日」とした。後に祝祭日となったと言う。これは知らなかった,つまらない理由で国民の祝日が決まるもんだな!

 明治29年現役を退き,商船学校の係留練習船として50余年にわたって5000人以上もの船員を育てた。終戦後の一時期,米軍に接収され船内のサロンが”酒保”などに使用され壁面がペンキで塗りたくられたりした挙句昭和26年に沈没した後に返還された。
 昭和53年,わが国に現存する唯一の鋳鉄船で,造船技術史上の貴重な遺産として国の重要文化財に指定された。
  昭和63年に修復が行われ展示されているが,内部はともかく甲板上の木造施設の老朽化は痛ましいくらい進んでいる。明治丸の航跡にはわが国の海洋国家としての歴史が刻まれている。海運界の発展に一助をなした記念すべき舟が後世に残り伝えられることを祈念して見学を終える。

 この後,隅田川左岸遊歩道を遡って永代橋(アーチ橋)・墨田川大橋(ガーダー橋)・清洲橋(鋼製つり橋)を見ながら浜町〜人形町を散策して解散。リバーサイドの高層マンション群はさておき,浜町,人形町界隈の町の様子が一変していたのにおお驚きをした一日でした。

 明治丸の詳細は,”重要文化財明治丸”を参照。


旧船首と船尾にはアーカンサスの花模様が施されている。